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北湯沢懐旧 [記憶に残っていること]

 

 

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 今夏、家族で訪れた北海道で、わたしたちは洞爺湖近くの温泉旅館に行った。

 そこは、「北湯沢温泉」という地で、道南・伊達紋別から昭和新山の脇を抜けて、少し奥に入った所。

 古くからある温泉地なのだが、以前は小規模な宿が何軒かあるだけだった。

 いまは、長流(おさる)川に沿って「名水亭」というホテル形式の温泉旅館が2軒並んでいる。

 

 上の写真、手前が第1名水亭、奥に小さく見えるのは第2名水亭である。

 豊富な温泉と家族で愉しめる施設、そしてバイキング料理が人気の旅館、わたしたちも十分愉しんだのだった。

 

 ところで、第1名水亭は、以前、国鉄胆振線北湯沢駅のあった場所に立っている。

 ここはわたしにとって懐かしい所、もう30年以上も前に、しばしば訪れた地なのである。

 

 

 

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 上は、1976(昭和51)年の夏に撮った北湯沢駅の写真である。

 単線に一本のホーム、そして簡素な駅舎が建っていた。

 この当時、北湯沢には、数軒の温泉宿と温泉による療養を中心とした病院があり、乗降客も多かった。

 

 わたしが北湯沢を訪れたのは、ここにユースホステルがあったから。

 旧知のYさんが、「北湯沢ユースホステル」の管理人となって赴任し、そこを訪ねてである。

 なにもない所だったが、Yさんご夫妻の人柄に惹かれ、何泊も滞在したのだった。

 

 それ以降、北海道を旅行するたび予定を工夫して、北湯沢を訪れた。

 学生だったので余るほど暇があったのだろう...思えば贅沢な旅をしていたものである。

 

 

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 なにもないと言っても、山と川と、そして胆振線があった。

 国鉄胆振線は、伊達紋別から倶知安まで、全長83㎞のローカル線で、惜しいことに1986年廃止になった。

 1976年当時、全線を走る列車は一日5本くらい、それでも、札幌まで直通する急行も走っていたので便利だった。

 

 胆振線は、伊達紋別からしばらくすると渓谷を走る。

 北湯沢付近では谷も深くなり、趣味で鉄道写真を撮っていたわたしには魅力のある所だった。

 

 

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 北湯沢に通う間に、いったい何枚の写真を撮ったことだろう。

 ほとんどがモノクロフィルム、その何本かをスキャンしてみた。

 コンピュータのディスプレイに現れる画像はどれも懐かしい...まだまだ元気だった鉄道も、今と変わらぬ景色も。

 

 

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 懐かしいと言えば、一本のフィルムに写っていた「北湯沢ユースホステル」の画像からも思い出がよみがえる。

 30年以上も前には、こういった簡素な施設を使いつつ北海道を旅する若者が多かったのである。

 

 若者が集まれば、様々な人間模様も生まれた...仄かな恋愛も諍いも。

 それでも、こうやってユースを泊まり歩き、人との付き合いを避けなかった若者が多かった。

 わたしが人との付き合いや繋がりが好きなのも、この頃の旅で得たことなのかも知れない。

 

 「北湯沢ユースホステル」の玄関で撮った記念写真、ここに写っている若者は、総てもう50代だろう。

 彼らは皆、元気で活躍しているのだろうか。


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コメント 59

MORIHANA

なんとも貴重な写真の数々…。実は、私自身は胆振線に乗った、
列車が走っている風景を見たキオクがほとんどないのです。
ずーっと北海道から出ることなく生きてきたのに、不思議なものです。

ですから、余計に嗚呼こんな場所を走っていたのかと
新鮮な驚きがあって。勿体無いことをしました。
定山渓鉄道もそうですが、今あれば、色んな形でもっと
利用されただろうなぁと残念に思います。
YHや駅舎を寝床にするカニ族…もまた、夏の北海道の風景を
彩る名物でした。その後、バイクに変わって、今は…随分、若者の
旅人が少なくなり、その代わり、第2の人生を謳歌しようと熟年のご夫婦、
おじさんのキャンピングカーが増えました。旅は、世につれ、なんとやらです。

by MORIHANA (2010-09-13 08:49) 

gop

先日関口くんの「鉄道乗り潰しの旅」(再放送)つい見ちゃいました。
国鉄時代、北海道もそれこそ網の目の様に鉄道が走っていましたっけ。
当時は全線乗り潰しも大変でした。

SL(ディスカバージャパン)全盛期、嫌な事もあり一時足を洗ったのですが、
今思い返すと懐かしい出来事も多く。
いつか当時と同じルートを巡ってみたいものです。

by gop (2010-09-13 08:53) 

ひろころ

鉄橋を見ると、餘部を思い出してしまう私です。
胆振線、車輌も線路も駅舎も、何ともいい味を出してますね。

ユースホステルは何度か利用した事が有ります。
友人がバイク好きで、ツーリングに付き合って飛騨~信州を旅しました。
夜、見知らぬ者同士で交流するジカン、楽しかったですねぇ。
「コレがユース泊の醍醐味なんだ」と嬉しそうに話していた顔を、思い出しましたよ(^^*)
by ひろころ (2010-09-13 17:53) 

炎遊人

国内旅行にあこがれる小生です。
脳味噌回転させずにボーっと過ごしたいというのが最近の心境です。
by 炎遊人 (2010-09-13 19:01) 

HIROMI

ナツパパさんは、そのころからずっと撮り鉄さんだったのですね。ナツパパさんもユースがお好きなんですね。うちのパパさんもです。なんだか、共通点が多いですね。
by HIROMI (2010-09-13 19:49) 

うんつく

最初に北海道に行ったのは高校二年の夏かな?
それ以降何度も御伺いしてますが一番の思い出はやはり厚岸の牧場で住み込みのバイトしてた頃かな?
当時は学生の貧乏旅行と言えば夜行急行にリュックに野宿にヒッチハイクにユースホステルでしたよね。
 質素な施設に食事、でも満足感は高級ホテル等及びもつかない位かな?
 そう言えば利尻のユースに10日程泊まりましたが、利尻富士の頂上に登り海辺で夕日を眺め、夜は食事の後ギター抱えてコーラスしたりねぇ(遠い目)。
 仲良くなった京女のKちゃんとフェリーに乗って島を離れる時は涙で目の前が見えませんでしたなぁ・・・・(更に遠い目)。
 そのKちゃんは??元気なら??今ババァやんかぁぁぁ。
嗚呼!見たく無い。
(すんません勝手に暴走してます)
 
by うんつく (2010-09-13 21:05) 

manamana

私が数少ないのですがユースホステルを利用した頃は、
みんなで歌を歌ったりという事は無かったですね。
鉄橋のディーゼルカー単行の写真が最高!です。
by manamana (2010-09-13 22:51) 

hideyuki2007y

白黒写真のフィルムが残ってたんですね。白黒はデジカメのお遊びで使うことがあっても、本物の白黒フィルムは今ではなかなか。雪が積もった中を走る列車が素敵です。エネルギー溢れる若者達も、、、。
我が家はフィルムスキャナも使えなくなってしまってます(笑)。
by hideyuki2007y (2010-09-13 23:16) 

あんこ

青函連絡船がまだあった頃の話ですが
初めての北海道の旅は大きなリュックをかついで2週間
全泊ユースホステルを利用してのものでした。
夏の北海道はそんな若者であふれていましたよね。
夕食後のミーティングが苦痛でもあり楽しくもあり…
中でも礼文島の桃岩荘が一番強烈に印象に残っています。
今ではそんな旅が日本から消えてしまいましたね。
不便だったけど楽しかったなぁ。
過ぎ去ったことだからそう感じるだけ…とは思いたくないですね。
by あんこ (2010-09-13 23:56) 

tateichi_m

仕事で洞爺湖は宿泊しましたが、
近くに北湯沢温泉というのがあるんですね。
世田谷の知人は中学時代から鉄道写真マニアで、
高校、大学時代に北海道へ行き、
倶知安などでSLを写したものを見たことがあります。
by tateichi_m (2010-09-14 00:05) 

トリバン

フィルムでかつモノクロ、、、、いいですね。
そこにはノスタルジーが宿っているようで、って、先入観なのかな。

ユースホステル。
私も学生時代はよく利用しました。
最近の若者は使ってるのでしょうか。
軽自動車での九州一周なんて楽しかったな~。
by トリバン (2010-09-14 00:23) 

めぎ

倶知安行きという電車(北海道人は汽車と呼びます)を子供の頃よく見かけたなあ・・・と思い出しました。
伊達紋別とか倶知安とか、子供の頃にもうちゃんと読めて、どこにあるのかなあとぼんやり想像してました。
しかし私は北海道にいた頃には北海道を旅したことがほとんど無く、東京に出てからたくさんの人に北海道を旅した話を聞かされ、そんなに旅のロマンを書き立てるところなのか、とびっくりしたものでした。
by めぎ (2010-09-14 02:29) 

小肥り

そうだ、昔の写真ってモノクロなんだ。
カラーが当たり前の今、新鮮でありますね。
真面目に生きている様子が伝わるから不思議。
だれもがこうして生きてたんだ(感慨)
by 小肥り (2010-09-14 07:15) 

YAP

行ったことのない場所なのに、モノクロ写真を通して懐かしいにおいを感じました。
ユースホステルは、旅がしたいけどお金がない、そんな若者の強い味方でしたよね。
最近、あまり聞かなくなったけど、需要は減ってるんですかね。
by YAP (2010-09-14 07:59) 

ナツパパ

MORIHANAさん。
そうそう、カニ族、と呼ばれる若者も多かったですね。
大きな荷物を担いで...移動は鉄道がほとんどだったのは、やはり時代だったのでしょう。
国鉄からJRに移行して、北海道のローカル線はずいぶん少なくなりました。
残念、と思う反面、これはもう仕方ないのかな、とも思います。
今の北海道では、都市間移動の高速列車ですらバスに押されているくらいですから、
ローカル線の生き残る余地はないでしょう。

ただ、定山渓鉄道、これだけは惜しかった、と思います。
藤野や石山からバスなどで札幌市内に通勤される方々の大変さを思うと、
鉄道があったらなあ、と思うんですよねえ。
by ナツパパ (2010-09-14 08:15) 

ナツパパ

gopさん。
昭和後期までは、北海道は鉄道路線が行き渡っていましたね。
開拓や開発のために置くまで鉄道が行かれて...たぶん採算度外視で...
その鉄道を、周遊券で格安に使えたのですから、やはり若者は鉄道になりますよね。
わたしの周遊券はよく利用しました。

SLブームの終わり頃、あの過熱ぶり、というより狂騒は凄かったですね。
わたしもあの頃に少し鉄道から離れました。
今の、引退電車セレモニーの加熱に一歩も二歩も引いてしまうのは、あのころのトラウマかも。
by ナツパパ (2010-09-14 08:20) 

ナツパパ

にゃんぷさん。
nice、ありがとうございました。
胆振線は典型的なローカル線なのですが、それでも一日一往復、急行が走っていました。
札幌を出て、苫小牧、登別、伊達紋別を走り、胆振線で倶知安に、それから小樽を経て札幌に戻るルート。
たしか循環急行、という名前で、途中で列車名も変わるのじゃなかったかしら。
胆振線を走っている間は、「急行・胆振」でしたっけねえ。
それでも札幌から、あるいは札幌まで乗り換え無しで行けるので、とても便利でしたねえ。
by ナツパパ (2010-09-14 08:24) 

ナツパパ

ひろころさん。
昔ながらの国鉄、という風景が残っていますね。
今ではなかなかお目にかかれない風景ですが、当時はどこでも見ることができましたっけ。
鉄道も変わったなあ、という感想が浮かびます。

ユースホステルの食後の歓談時間、たしかミーティングと言いましたね。
場所によっては派手で賑やか、それが良いという人と嫌だという人に別れましたねえ。
北湯沢のユースホステルでは静かに話をするだけで、わたしはそちらの方が好きでした。
今は昔の話になってしまいました。
by ナツパパ (2010-09-14 08:28) 

ナツパパ

ヨタ8さん。
nice、ありがとうございました。
胆振線が廃止になって、今は代行のバスが一日何本か走っています。
先日北湯沢を訪れたとき、たまたまそのバスに行き会ったのですが、乗客は2人でしたねえ。
2人では、鉄道の存続は無理でしょうねえ。
これだけクルマが便利になってしまうと仕方ないのかも知れませんが、その2人のために
ぜひバスは残して欲しいなあ、と思いました。
by ナツパパ (2010-09-14 08:31) 

ナツパパ

炎遊人さん。
うーん、たしかに国内の旅行は、海外旅行に比べて気を遣わずに済みますね。
言葉の問題も安全の問題も...国内ではだいたい分かりますし。
寛ぐ旅行は、やはり国内の、たとえば温泉でゆっくり、が良いのかも。
ただ、旅行の面白さや刺激、というと、知らない土地の方が一層受けますよねえ。
そこら辺の案配が難しいなあ。
by ナツパパ (2010-09-14 08:34) 

ナツパパ

HIROMIさん。
あ、ご主人もユースをよく利用されていらしたのですか。
北海道は広いので、旅行となると日数も多くなりがち。
そうなると、やはり安いユースを使っての旅行をする方が多かったですねえ、この時代。
わたしも同じ理由でユースを使い始めたのですが、知り合いが多くなると、今度はその人を訪ねて
ユースに泊まる、ということに変わっていったように思います。
そういった皆さんとは、今でもおつきあいがあるんですよ。
by ナツパパ (2010-09-14 08:38) 

ナツパパ

manamanaさん。
ユースホステルが全盛だったのは、おそらく1970年代までだったでしょう。
この旅行をした1976年くらいから、利用者は明らかに減少傾向でした。
なぜ?...やはり、ユースの人間と宿泊者、あるいは宿泊者同士の繋がりが
過干渉になっていたからじゃないかな、と思います。
1980年代になると、ユースでも夜のミーティングは少なくなったようですね。
一人一人が静かに過ごせるようになって、それは良かったなあ、と思ったものでした。
manamanaさんがご利用になったのも、そういった変化のあとだったのかも知れませんね。
by ナツパパ (2010-09-14 08:42) 

ナツパパ

うんつくさん。
わたしも夏には、北海道周遊券が命綱(笑)の旅をしていました。
あちこち回るためには、宿泊代から削らないと...で、ユース利用、または夜行列車をよく使いました。
それでもたいして疲れなかったのですから、若さというのは良いものです。

そうそう、北海道各地で名物ユースがありましたね。
利尻島のユースhその中でも一番有名だったのじゃなかったでしょうか。
わたしは恐れをなしてとても行けませんでしたが、嵌ると愉しくつい連泊、だったようですね。
うんつくさんも連泊でしたか。
...それにしても遠い目が多いなあ、よほど思い出に残る体験がっ(爆)
by ナツパパ (2010-09-14 08:48) 

ナツパパ

hideyuki2007yさん。
フィルムカメラを使っていた頃は、写真の量もずっと少なかったですねえ。
一日モノクロ36枚撮りで3本も取ったら凄く写真をとった気分になりました。
36枚撮り3本は108枚、今でしたら1時間ですものねえ。
その分撮るのも慎重になった...筈なんですが、今フィルムを見ると失敗が多くて(笑)
もうフィルムカメラには戻れませんねえ。
by ナツパパ (2010-09-14 08:51) 

ナツパパ

あんこさん。
北海道を一周すると、やはり2週間、周遊券の期限一杯になってしまいますよね。
大きなリュックで、ユースを使って...は、北海道を旅行する際の定番スタイルだったように思います。
小樽「北一ガラス」の包みを持っている方も多くいらしたなあ。

利尻桃岩ユースは、一時期ミーティングの賑やかさで有名になりましたね。
それが評判になると、その賑やかさを求めていく旅行者も出て、賛否両論になりましたっけ。
わたしはそういった賑やかなミーティングが苦手でしたので、桃岩ユースにはついに行かず終いでした。
by ナツパパ (2010-09-14 08:57) 

今造ROWINGTEAM

全日本選手権では応援してくださって
ありがとうございました((*´U`)ノ

今回は敗退してしまいましたが
次は勝利の報告ができるよう、
頑張って行きたいと思います★

これからも今造ボート部を宜しくお願いします!
by 今造ROWINGTEAM (2010-09-14 09:18) 

ナツパパ

tateichi_mさん。
洞爺湖のような観光地もなく地味な温泉地でしたが、10年ほど前でしたか、
大手の観光チェーンが温泉の権利を買い、大きな温泉ホテルを建てました。
北湯沢には、ホテル以外に店や観光ポイントなどはなく、ホテルを一歩出ると、
昔ながらの雰囲気が懐かしかったですねえ。

北海道は最後までSLが活躍した地でした。
九州と並んで、SLブームでは多くの方が撮影に訪れましたね。
ご友人も愉しまれたのでは、と思いますよ。
by ナツパパ (2010-09-14 20:01) 

ナツパパ

トリバンさん。
今でもユースホステルはあるようですが、以前のような規則ずくめの生活ではないようですね。
お酒などもOKになったと聞きますし。
以前のような、蚕棚のベッド、毛布やシーツのたたみ方指導、等々、今となっては
相当煩わしい規則に思えるのかも知れませんね。
わたしも北海道のユースには楽しい思い出が多く残っています。
また泊まろう、という所までは行きませんが、懐かしい思い出になっています。
by ナツパパ (2010-09-14 20:10) 

ナツパパ

めぎさん。
あ、妻も同じようなことを言っていましたっけねえ。
彼女も北海道の生まれ育ちなのですが...北国のロマン...といわれてもねえ、なんて(笑)
ただ、東京者のわたしと一緒になってから道内あちこちを旅行するようになって、
北海道の良い所をたくさん見たようで、すっかり道内の旅行が好きになりました。
by ナツパパ (2010-09-14 20:14) 

ナツパパ

小肥りさん。
1960~70年代、わたしは学生でしたが、周りの友人や大人を見ていて、
価値観や生活が今ほど多様化していなかった時代だったのかなあ、という気もします。
学生運動などもありましたが、わかりやすい時代だったのかも知れませんね。

わたしがモノクロフィルムを多用していたのは、カラーフィルムやリバーサルフィルムが高くて
2~3本しか買えなかったから、という理由です。
もう一つは、自分で現像や引き延ばしをしていたので...暗室を工夫して現像は愉しかったですねえ。
by ナツパパ (2010-09-14 20:19) 

ナツパパ

YAPさん。
ユースホステルは、低料金でしかも食事がついて、と便利な存在でした。
食事なども、ご飯食べ放題、なんかになっている所もあり、そこでは皆凄かったですねえ。
4~5杯のお変わりは当たり前...
中には、お米を担いでユースに現れる猛者もいたりして、あはは、懐かしいなあ。
今でもユースはあるようですが、社会人になった頃からご無沙汰になってしまいました。
by ナツパパ (2010-09-14 20:22) 

ナツパパ

今造ROWINGTEAMさん。
全日本選手権出場、お疲れ様でした。
勝敗は時の運、という場合もあります。
来年はどうか運も味方に...
これからも応援しますよ!!
by ナツパパ (2010-09-14 20:25) 

ナツパパ

ゆうちんさん。
nice、ありがとうございました。
ようやく秋めいてきましたね。
今夏訪れた北海道も、今年は暑かったです。
以前はこれほどの暑さにはならなかったのに...と誰もが言ってましたねえ。
記事の1976年あたりでも、夜は涼しくてよく休めたように覚えています。
年々気温が上がっているのでしょうか。
by ナツパパ (2010-09-15 19:56) 

ナツパパ

lomoさん。
nice、ありがとうございました。
ユースホステルの魅力って、人間関係に因っている所があったように思いますね。
あのYHのペアレントと話が合うとか、あそこは愉しかったとか...
そういう思い出が、リピーターを増やしていたように思います。
ある意味濃密な人間関係で、それが苦手な人には、ちょっと厳しいかも。
1980年代以降、YHを利用する旅人が減っているのも、あるいは、そういった人間関係を
苦手とする方が増えたからかなあ、と思います。

今50代半ばのわたしですが、記事の頃のYHに行きたいか?といわれると、うーん。
やはりYHは若い人のためのものだったのでしょうね。
by ナツパパ (2010-09-15 20:03) 

ナツパパ

ナビパさん。
nice、ありがとうございました。
わたしは北海道のYHに、それほど詳しい訳ではないのですが、それでも、長い間旅行しているうち
けっこういろいろなYHに泊まりました。
それぞれが個性的で、その個性があるので、それぞれにファンができるのだなあ、と思いましたねえ。
増毛という街があって、そこのYHは夕日がきれいでした。
当時、雄冬という街には増毛港から船でしか行けなくて、そこに行くと、
結局YHに2泊することになるのでしたが、なにもない増毛の街が面白かったですねえ。
後年、「駅」という映画で増毛が登場し、なにもないどころか見所たくさんの街だったのに驚きましたっけ。
by ナツパパ (2010-09-15 21:04) 

ナツパパ

甘党大王さん。
nice、ありがとうございました。
若い頃の旅って見知らぬ土地を歩くのが目的だったりしました。
40代後半になってふと気づいたのですが、その頃からあとは、馴染みの土地に行くことが
旅行の目的になっていました。
知らない土地は刺激が強くワクワクする反面疲れます。
そういう疲れは後に残るような気がして...億劫になっている自分を感じます。
by ナツパパ (2010-09-16 21:23) 

ナツパパ

じゅんぺいさん。
nice、ありがとうございました。
北湯沢という場所は、伊達紋別から奥に、狭い谷に沿ってできた温泉です。
北湯沢の隣にも温泉があるので、この地域は温泉が豊富にわき出るのでしょう。
近くの有珠山は活火山ですし、昭和新山もありますし...
以前は、胆振線が昭和新山のすぐ近くを走っていました。
1970年代有珠山か噴火した後に胆振線に乗ったのですが、5㎞ほどは一面茶褐色の世界でしたっけ。
灰がそこまで降ったのですね。
で、その区間は窓を開けられず、しかし北海道のディーゼル車にエアコンなどはなく...
とても暑かったのを覚えています。
by ナツパパ (2010-09-16 21:28) 

ナツパパ

da-kuraさん。
nice、ありがとうございました。
見知らぬ駅に降り立つときって、今でもちょっとどきどきします。
北湯沢駅に初めて下りたときのことは良く覚えています。
駅から出たらなんにもなかった。
YHの場所を聞こうにも、そもそも誰もいませんでした。
今思い返すと、良い思い出なんですがね、あのときはけっこう焦りましたっけ。
by ナツパパ (2010-09-18 07:21) 

ナツパパ

くーぷらんさん。
nice、ありがとうございました。
こういうローカル線まで、以前は急行が走っていたものです。
ここ胆振線でも、急行「いぶり」が札幌まで直通していました。
便利だったなあ、そして乗客のことを考えていたんだなあ、と思います。
今は都市間連絡と大都市圏輸送に特化しつつあるJR北海道なので、ローカル線は厳しいです。
by ナツパパ (2010-09-20 20:02) 

機乗の空論

いやー懐かしいなぁ~!!

駅や列車、YHの玄関やらで、懐かしさの余り涙が出そうです…!。

当時はペアレントのYちゃん夫妻に、ヘルパーのK氏、みんな若くて元気でしたね~。
私もYちゃんが独身当時に一緒にスタッフをやってました…、何も無いけど、温泉と美味しい食事に、皆で話し合うミーテイングだけが北湯沢の売りでした。

懐かしい写真を有難うございました!、感謝します・
by 機乗の空論 (2013-07-21 17:14) 

ナツパパ

機乗の空論さん。
あ、機乗の空論さん、北湯沢ユースでスタッフをされていらしたのですね。
あの当時の北湯沢ユースは、派手さはないけれど、ペアレントのYさんの人柄そのまま、
暖かい雰囲気に溢れていましたね。
当時撮った写真をスキャンして、ディスプレイに現れた北湯沢ユースの写真から、
この記事を作ることが出来ました。
撮った当人のわたしも、懐かしくて、しばし見入ってしまいましたっけ。
喜んで頂けて、わたしも本当に嬉しいです。
by ナツパパ (2013-07-21 19:23) 

北のくまさん

私の父は、旧北湯沢駅に勤務していたため、一年間でしたが駅そばの官舎に住んでいました。
父が駅長として一人で勤務していたので、私たち家族しかいませんでしたが、北湯沢では2人の妹達とスキーを覚え、プールがあったため、カナヅチを返上することができたとても印象深い土地です。
かつて住んでいた所にはホテルが建ち、当時の面影を窺い知ることはできませんが、当時の思い出は今でも走馬灯の様に思い出されます。今から約40年近く前の、私が中学2年のことです。
by 北のくまさん (2013-09-16 12:56) 

ナツパパ

北のくまさん さん。
わたしが北湯沢を訪れ始めたときには、北湯沢駅はすでに無人駅になっていました。
それでも駅舎始めホームなどはとてもきれいになっていて、地元の皆さんが
駅に寄せる愛情を感じたものでした。
駅も駅舎も簡素な作りでしたけれど、素敵な佇まいでしたね。
北のくまさん さんからのお便りで、わたしもあの当時のあれこれを思い出して、
気がつくと思わぬ時間が経っていました。
ありがとうございました。
by ナツパパ (2013-09-23 13:50) 

チャリ

懐かしい写真をありがとうございました。
知った方が何人か?
Yペアレントご夫妻に大変お世話になりました。
数年前に訪れましたが駅もなく、横山旅館?も。
当時は何もなくて好きでしたが
やっぱり何かないといけないのでしょうね、、
春夏秋冬 季節の営みを感じました、今になって思うのも遅いですが!
by チャリ (2014-03-16 22:27) 

MOTO

30年近く前 京都から函館の学校を出た私は、友人を頼って札幌へ。
高校生の時から憧れだった北海道での生活、その時、好きだったのが
北湯沢温泉での入浴でした。 月の一度は週末になると車で支笏湖、
美笛峠を越え、約3時間かけて来ていました。
記憶にあるのは、旅館の前を流れる温泉が噴出している川床と、川向を走る
旧国鉄胆振線を走るディーゼルカーの音。
数年前に訪れましたが、廃線になった胆振線の遺構が少し残っているので感激
しました。 サイクリングロードになっているようです。
貴重な写真ありがとうございました。


by MOTO (2014-03-30 23:28) 

ナツパパ

チャリさん。
お返事遅れてしまいました。

>懐かしい写真をありがとうございました。
あ、チャリさんはこの頃の北湯沢ユースにおいでになっていたのですね。
この記事を書いたのは、フィルムをデジタルの移している作業で北湯沢の写真を見て、
それで懐かしくなって、なんですよ。
もう40年も前のことになるんですねえ。
静かな、小さな温泉町がこう変わるとは予想もしませんでした。
by ナツパパ (2014-04-02 06:04) 

ナツパパ

MOTOさん。
静かな、しかし本当になにもない温泉町の北湯沢でしたけれど、
多くの皆さんが思い出を持っていて、それをここに記してくださり、ありがたいなあ、と思います。
建物はずいぶん変わりましたが、仰るとおり自然はもとのままですね。
「第一名水亭」への道に架かる橋も、北湯沢駅の時代から変わらず、
それがなんとも懐かしかったです。
わたしも久しぶりに訪ねてみたくなりました。

by ナツパパ (2014-04-02 06:09) 

ふるたまん

なつばばさん、なつかしい北湯沢の写真の数々、ありがとうございます。
私は1980年代に電車やバイクで、夏休み、ゴールデンウイーク、正月休みを使ってたびたび訪れました。当時はペアレントはSさん、その後Hさんでした。
のんびりしたYHだったので、島牧、室蘭とあわせて、「道南リハビリトライアングル」なんて呼ばれてたよーな。
その後、ネットで建物は立て替えられたのは知りました。今は駅舎跡もホテルなのですね。。。
泊まった仲間で洞爺湖の花火を見に行ったり、庭でジンギスカンしたり、トクシュンベツ岳に登りに行ったり、お祭りで北湯YHチームで綱引きに出たりもしました。あー、なつかしいなー。今でもキラキラの思い出として、鮮明に思い出せます。
なつかしい日々を思い出させてくださり、本当にありがとうございました。
by ふるたまん (2014-04-07 22:41) 

ナツパパ

ふるたまんさん。
記事の、一番上の写真は、北湯沢YHの敷地から撮ったものです。
YHの建物は建て替えられていて、新しく素敵なものになっていました。
わたしなどは、以前の建物に思い出があるのですけれど、現在の建物の方が
格段に居心地が良さそうでしたねえ。
わたしが訪れていたのは1970年代だったのですが、それ以降も、素敵なユースホステルとして
続いていたんだなあ、とふるまたんさんのコメントを拝見してとてもうれしく思いました。
ふるまたんさんと同様、わたしにとっても、北湯沢での日々は大切な思い出です。
by ナツパパ (2014-04-08 09:06) 

ふるたまん

北湯沢について語ったことなど、何十年ぶりです。
おかげざまで、しばしのタイムトリップに浸らせてもらいました。

YHの今が気になりネットで調べたら、2009年の長期休館後、2010年に野口観光グループに買い取られていますね。現在はどうなっているのでしょうか?
あれだけゆったり時が流れていた北湯沢もどんどん変わっているのですね。
変わらないのは思い出だけですね。
by ふるたまん (2014-04-08 09:59) 

ナツパパ

ふるたまんさん。
あ、もはやYHではなくなってしまっているかもしれないのですね。
それは残念。
北湯沢での日々は今でも楽しい思い出ですが、本当に思い出になってしまったんですねえ。
うーん、今日は北湯沢で撮った写真を見返してみようかな。

by ナツパパ (2014-04-08 10:20) 

たく

たまたま見つけました。当時、室蘭や北湯沢YHでヘルパーをやっていました。Yさん夫妻は本当にすばらしい方でした。P最後の日にお見送りしたことを思い出します。
by たく (2014-05-14 22:06) 

ナツパパ

たくさん。
はじめまして、ようこそ。
北湯沢YHと縁のあるみなさんにおいでいただき、本当に嬉しく思っています。
たくさんはヘルパーをなさっていたのですね。
Yさんご夫妻が退職される日も一緒だったのでしたか。
わたしはそのことをたしか手紙か電話で知ったと思います。
その日にいたかったなあ。
わたしにとっても、一つの時代の終わり、のようなことでしたので。
by ナツパパ (2014-05-15 09:18) 

機乗の空論

はじめまして~、いやー懐かしく思います!。
ユースの玄関での集合写真~、写真中央に写っているヘルパーKを見ると若かったなぁ~と泪が出てきます(彼も既に亡くなってしまってたので)。本当に有難うございました、嬉しく思いました。

私もあの頃はY氏と二人でスタッフをしていて、ヘルパーさんやホステラーさんに随分と助けられ、何も無いところで、よくも毎日頑張っていたなぁ~と思います。
ペアレント夫妻のY氏とは今でも会って、あの頃の思い出話しを良くしてます。

胆振線もなくなって、あの頃のユースも無くなって、今は綺麗なペンション風に建て替えられてびっくしました!?。
でも、閉館中なんですね…?。先日ホロホロ山荘で伺ったら高橋さんと言う個人が管理しているようです。

まぁ~、心中にはあの頃のユースや皆の顔がそのまま焼き付いたままです。

ナツパパさんとは、もしかして当時ユースでお会いしてますかね?~。
by 機乗の空論 (2015-03-15 15:09) 

ナツパパ

機乗の空論さん。
機乗の空論さんは北湯沢YHでヘルパーをなさっていらしたんですね。
きっとどこかでお目にかかっていることと思います。
この写真を撮ったときからすでに40年近く、北湯沢もずいぶん変わったようですし、
写真に写っている人たちも変わったのだろうなあ、と感慨があります。
...あ、そういうわたしだって、見るも無惨な変わりようなのですけれど(笑)
若かった頃の思い出を一緒に愉しんでくださる方がいらして、とても嬉しいです。
by ナツパパ (2015-03-15 17:36) 

kecomi

懐かしいです。只々懐かしいです。
私が初めて北湯沢にお世話になったのは、1979年の夏のことです。
友人3人と周遊券で出かけました。

初めての旅だったし、初めての北海道だったので、みっちり計画をたてて、二泊目のユースが北湯沢でした。計画を立てるのも旅の楽しみ~と、行く前から行った気分だったのに、ここでその計画はぜ~んぶ、ボツ、にしちゃいました。
ここで、「とらべるまん」を手に入れて~、
ここからホントの旅が始まった気がしますね。

胆振線の車窓もダイスキでした。

私の夫はこの時の旅で出会った人ですし、おととしの春には、その時以来会ってない友人と再会しました。

北湯沢の暖かさをしみじみ思い出しました。




by kecomi (2015-08-10 17:09) 

ナツパパ

kecomiさん。
北湯沢ユースを思い出していただき、ありがとうございます。
1979年というと、記事の建物が、まだ現役だった頃でしょうか。
その頃には、ユースホステルを利用して旅をする若者も多かったですね。
そういう旅で、様々に出会いを重ねることが、わたしの中でも大切な思い出になっています。
今はずいぶん雰囲気も変わってしまった北湯沢ですが、写真を見ると、当時のことが、
あれこれよみがえってきますね。
by ナツパパ (2015-08-10 20:00) 

kecomi

たまたま
ここにたどりついてのナツババさんはじめ皆さんと、
こうして北湯沢のことをお話する機会がくるなんて、携帯もない当時は、
考えられませんでしたね。

そういえば、近くに「おさる川」ってありませんでしたか?、おさる=モンキーだと思ってずいぶんかわいい川だな~と勘違いしてました(ちがったらごめんなさい)暑い日に皆で出かけた気がします。

翌年、北湯沢でであった人の中に、九州からチャリ(うちの地方ではケッタといいます)で日本一周してる方がいました。その後、3か月くらいして、我が家へ寄ってくれたことがあります。おおきな夢をもっていらして、夢は実現できたのかな~と思ったりして・・・

誰でも夢をみられる・・実現するかはともかく、努力が報われる、いい時代だったと思いますね。

夫の転勤で札幌に何年か住んでいました。その間に一度訪ねてみればよかった・・と、後悔してます。
今は関東地方に住んでいて、出かけていく機会はきっとこの先ないでしょう。

でも思い出って、思い出だからいいのかな?

また、イロイロ懐かしいお話をさせていただければ幸いです


by kecomi (2015-08-12 14:04) 

ナツパパ

kecomiさん。
ありましたね、おさるがわ。
長流川って書くんですよね。
わたしは漢字から見ましてね、まさかおさるがわじゃないよね、っていいましたら...そのまさかで(笑)
北湯沢付近では河床が板のようになっていて、歩いたら気持ちよさそうでしたね。

わたしの連れ合いは札幌の生まれ育ちなのですけれど、そんな遠距離で知り合った遠因は、
北湯沢ユースなのでした。
わたしにとっても忘れられない土地でありユースです。
by ナツパパ (2015-08-13 19:46) 

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